寶光山 横沼寺 実相院
縁起
平安後期(詳しい年代は不明)本尊 聖観世音菩薩立像(東京都重要文化財)と共に行基によって建立とされています。山号は宝光山。
開山当時は時宗でしたが、現在は真言宗豊山派のお寺です。
代表的な建物となっているお堂は実は実相院ではなく横沼寺の本堂(観音堂)で実相院は観音堂を正面に見て右側に本堂を構えております。
元々の横沼寺は広大な敷地を誇るお寺で実相院はその建中(たっちゅう)の一つで本坊の位置付けだったようです。
安政の大地震により双方が被害を蒙り再建を両方一緒に行った折り現在の形になったと言われております。
伊興七福神:大黒天・弁財天・毘沙門天
荒綾八十八ヶ所霊場~第四十一番~
武蔵野国三十三 ヶ 所霊場~第二十三番~
12:00~13:00は休憩時間を設けております
上記時間中は御朱印・両替は出来ませんのでご了承ください
子育て観音の由来
元々、伊興村の象徴的なお寺であったこともありますが特に奥方達がお乳が出るようにと、女性の命とも言うべき髪の毛(一房)を奉納し願うと(当時はお乳が出ないと死活問題)瞬く間にお乳が出るようになるという事で、「お乳の観音様」を経て「子育観音」と呼ばれるようになったようです。
また江戸時代にはその霊験を聞いた紀伊宰相 宗将 公(徳川宗将)の奥方が参詣し無事に嫡男をもうける事が出来たという事で宗将公より両界曼荼羅と直筆の覚書を御寄進されその名称を不動の物としました。